一般的に平穏死とは体が弱ってゆく過程を受け入れ、点滴や血管に栄養を入れたり、胃に管を入れて栄養を入れるような積極的な治療をせずに、自然な形で死を受けいれることを言います。
徐々に体が弱くなり、人生の終焉を迎えることは全ての人に訪れる自然な流れです。
がんの平穏死とはがん末期の患者が悪液質で食べれなくなり、体がやせ細り、弱っても、積極的な延命治療を受けず、自然のままに死を受け入れることを言います。
平穏死とは特別養護老人ホームの石飛幸三医師が、作った造語です。長尾和弘氏の「平穏死の10の条件」でも世間に広まりました。
ガンの最後の一ヶ月間は余分な医療を受けず、自然な流れに身を任せた方が苦痛が少ないかもしれません。
平穏死という言葉は素晴らしいですが、どれぐらい平穏な最期を迎えるかイメージがわきにくいのではないでしょうか?
ガン終末期は痛みを抑えたり、息苦しさを軽減させるようなな医療は必要としますのでご注意を。
苦痛のない終末期ありません
多くの方は、無茶な延命をせず、痛みや苦しみがない死に方を願っていると思います。しかし残念ながら、平穏死を行っても辛さや悲しみのない終末期は存在しません。
最後の2ヶ月間は筋力が低下し、今まで普通にしてきた動作が難しくなります。歩いたり、階段を登ったりが難しくなってしまうのです。
そのようなとき、情けない気持ちになるのは当然です。全く苦痛がないなんてことはあり得ないと思いませんか?
家族と別れる悲しさ、辛さを感じないなんてことはありえません。
「体力、筋力がなくなってゆく心構えが出来ていたので、辛くありません」という方はいらっしゃるかもしれませんが…
余命が数週間で、食事量が極端に減ったような体の状態で、必要のない点滴や胃瘻からの栄養を投与しても、浮腫が増えたり、胸水、腹水が増えてしまいます。体が弱っている状態で補充しても苦痛が増えるのです。
食べれなくなったら輸液などの治療は控えると、苦痛が減り、穏やかな最期を迎えれるでしょうというのが平穏死のスタンスです。
どの段階でも痛みなどの苦痛は積極的に減らしてゆくべき
平穏死を希望していたとしても、苦痛を減らす医療を避けることはオススメできません。平穏死は全く治療しないという意味ではありません。必要ない医療行為は避けましょうという意味です。
多くはありませんが、最後まで痛みを感じないという方がいます。とくにご高齢の方は痛みが少ないようです。
やはり、多くの方はガンによる痛みや息苦しさなどの苦痛があります。ある程度の苦痛はモルヒネなどの医療用麻薬を使うとコントロールが可能です。適切な医療を受け、痛みなどの苦痛は出来るだけ減らせば、穏やかに過ごせます。
どのタイミングで治療を止めてもらうか?
痛みを減らす医療と、抗がん剤のようなガンを小さくする積極的な医療、栄養の点滴など補助的な医療は別に考えるべきです。
徐々に衰弱すれば、徐々に自分の活動範囲が減り、苦痛の少ない生活を送るようになります。自然の流れに沿えば、活動範囲を減らしながら死に向かい収斂してゆくようです。
自然経過に沿えば、苦しくないように無理をせず、生活範囲を減らし、最終的にベッド上の生活となり、死を迎えてゆくでしょう。
平穏死と聞くと苦痛がないような印象をうけますが、全く苦痛がない終末期はありません。
抗がん剤を使うような積極的にガンを小さくする治療は体力の消耗を伴います。この治療をいつやめるべきか迷う方は多いでしょう。
わたし自身の考え方では、副作用が許容範囲で、治療効果があるのなら抗がん剤を続けたいと思っています。
抗がん剤の適応が外れてしまえば、残された時間を出来るだけ充実させて過ごしたいところです。積極的な抗がん剤治療はやめて、痛みを取る対処療法や栄養補充療法を行いながら過ごすという意味です。
さらに余命が一ヶ月を切るようであれば、栄養補充も止めて痛みだけを取るような治療だけをお願いして過ごせたらと考えています。
まとめ:平穏な最期を迎えるために
適切な程度の医療というのは我々素人では判断が難しいところですが、食事が出来なくなったら、そろそろお別れが近いと覚悟し、苦痛をとるだけの治療のみに専念してもらい、見守る方が良さそうだと思っています。
意識がしっかりしている間に、おなくなりになる前に「さようなら」「お先に往ってしまいます。失礼します」という言葉が言えたら平穏死と言えるとわたし自身は考えています。
どのタイミングで積極的な医療をやめるか、どのタイミングで栄養補助療法をやめてゆくかを考えておくと、穏やかな最期を迎えることが出来ると思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。