最後の日というテーマで記事を書かせていただきます。
実例ではありません。わたしが一般的な例を作ったものです。
たとえ話とはいえ、出来るだけリアルに書いたつもりです。具体的な病名設定はありませんが、末期がん患者の最期の日です。
最期の0日
常に寝てしまっているが、呼びかけにわずかに開眼する程度になった。
声をかければ気づいているが、すぐに目を閉じてしまう。
本人は気づくが、さほど辛くはない。
本人の記憶に残る時間は終わってしまっている。
本人にとって何かを伝えたいという気持ちはなくなってしまった。
会話したり、笑顔で話すような感情を出した高度な反応をすることはしない。
今日は、家族たちが声をかけ続け、家族たちが死に行く人との最後の時間をすごすための日になるのだろう。
この段階では痛みを訴えることもなくなり、体のだるさからも開放されて、吐き気などの症状はない。痛みはほとんどない。
体は自分からはほとんど動かさない。食べることもしゃべることもない。
トイレにはもうずいぶん長い間自分の力で行っていない。
生理的欲望は消失したが、最後に水だけは最後まで飲みたいという欲求が残されており、目くばせで水を要求する。
家族が、「何か食べたい?」とか「足をさすろうか」と問うが、目を開けるだけで、首を振ることもできない。
無表情に目を開けることが精一杯。
周囲の人たちは、本人にしてやれることが少なくなり、何かしても反応がなくなり寂しさを実感している。
介護を時間的に濃密に行ってきた家族は、本人が何かしたいということを一切言わなくなり、寂しさを感じつつ、体をさすったり、そばにいることしかできなくなり不安を感じていた。
家族は何ができるのかさっぱりわからなくなって、担当看護師に何をできるか聞いてみたが、
「もうすぐお別れのときが近づいています。そばにいて、声をかけたり、手を握ったりしてあげてください。聴覚は最後まで保たれますので、声をかけてあげてください。」と看護師は答えるのみである。
しかたがない、もう何をしてあげても、本人の記憶には残らず、反応することもできないのだから。
家族の一人が、医師に「何でなにもしゃべらなくなったんですか。ご飯も食べなくなっちゃったし。」と問うが、
「そういう時期が来ているので、手を握ったり、そばにいてやってください」と看護師と大差ない返答が帰ってきた。
徐々に活動ができなくなってきた姿を見てきたので、家族は本人が徐々に言葉を発しなくなったり、目を開こうとしなくなってきた状態を自然の流れとして受け入れいれていた。
つらい時間を共にすることで、自然の流れとして受け入れることを納得させうるのかもしれない。
もう数日前から手足の指や手のひら、足の裏は青く色が変わりチアノーゼになってきている。
酸素化された血液が指先まで届いていないのだ。
呼吸筋が少なくなったり、癌性リンパ管症により、十分な呼吸が出来ないため血液の酸素化が不良になるのである。
呼びかけに対しての反応がほとんどなくなり、上の血圧が70台になり、口を空け、肩を使い全体で呼吸するようになってきた。
血圧が下がり始めたので近しい人を呼ぶように看護師に説明を受けた。
口を開けて、下あごをカクカクさせながらする呼吸は下顎呼吸と呼ばれる呼吸である。
死ぬ直前に血液中の二酸化炭素が溜まり、酸素が不足し、下顎呼吸が生じるのは心臓の機能および肺の機能が低下している兆候である。
この状態ではすでに心臓と肺の機能が破綻しており、戻ることはできない。
血圧が下がり始めしばらくしたら、呼吸が一時的に止まるようになり始めた。
呼吸が止まるたびに、家族が不安になり、体を揺すりながら患者の名前を呼んだ。
しかし、反応することはない。
目は完全に閉じることが出来ず、うつろであり、天井を見上げるのみである。
天井はおそらく見えてはいまい。徐々に光も感じなくなっているのであろう。
呼吸が止まり、呼吸を再開するたびに下顎をカクカクさせて息を吸うたびに、痰が絡むような「ずぉー、ずぁー」という呼吸音が苦しそうに聞こえる。
家族が痰が絡んでいるのではないかと心配になり、看護師に痰を吸引してもらうようにお願いした。
吸引チューブをのどに入れて吸うが何も吸えてこない。痰が絡んでいるのではなく、死前喘鳴と呼ばれる最後の時にが近づいた兆候とのことであった。
本人は苦しさを感じていない表情であり、非常に穏やかであった。
呼吸が止まっている間は酸素マスクから聞こえるシューという音と酸素を湿らすための加湿装置のボコボコボコという音だけが病室内に響いている。
再開された呼吸も弱弱しく「ズッ」とわずかに一度だけ吸うのみになってきた。
声をかけても無反応であり、皆お別れが近いことを理解し、患者とのかかわりを思い出しながら時間を過ごしていた。
血圧は測れなくなり、腕の脈は触れなくなった。呼吸が止まるたびに呼吸が再び始まらないのではないかという不安を抱きながら時が進んでいった。
心臓からの血液の拍出が少なくなるにつれ、体中の機能は徐々に低下してゆく。
心臓も徐々に機能が低下してゆき、心臓自身が酸素不足となり心臓の筋肉の拍動が停止する。
心臓が動かなくなれば心臓にもその他の臓器にも酸素は届かなくなり、機能を停止する。
時に脳の反射機能が残っており、心臓が停止しても暫く呼吸だけするようなこともある。
呼吸の一時的な休止が始まってから、死を迎えるまで時間、多くの家族が患者の横に座って静寂な時間をすごす。
泣きはらし、大声をだして本人の名前を呼び続ける家族もいる。逆に訪れる終焉を静かに見守る家族もいる。
想定はしていても、家族全員が、かけがえのない存在を失うという大きな悲しみや喪失感を感じていた。
呼吸が止って再開しない状態が5分ぐらい経ったとき、家族の一人が「そろそろ先生を呼びにいくか」と声を発した。
医師が看護師とともに病室に現れた。
医師が静かに一礼をし、患者の横に立ち、「今から死亡を確認します」と穏やかな声で家族等に話しかけた。
失礼しますと言い、患者の胸に聴診器を当て、心臓の音が聞こえないこと、呼吸の音が聞こえないことを丁寧に確認した。
その後、ペンライトの光を患者の左右の瞳に入れ、瞳孔の散大と対光反射がなくなったことを確認した。
ゆっくりとペンライトの電源を切り、白衣のポケットにしまった。腕時計で時間を確認した。
一瞬の静寂の後、
「大変残念ですが、今お亡くなりになったことを確認させていただきました。」
と医師が言い、深々と頭を下げた。
どれぐらい頭を下げていただろう、ずいぶん長い間頭を下げていた様な感じがした。
病室を出る前に、医師は家族に一礼をし、病室をあとにした。
最後の時というのは非常に静かで悲しい。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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