末期がんの人に生きてゆく意味があるかと聞かれたら




末期ガン患者と人生観

ガン末期になると「なぜ生きているのか」、「生きてゆく意味があるのか」「自分の人生に意味があったのか」など人生観について自問自答される方は少なく有りません。

ガン末期の患者に生きてゆく意味について問われ、困惑する家族もいると思います。

これらの問いかけは,あまりに漠然としています。また、本人がハッキリした答えを本当に求めているのかも分かりません。残り少ない人生に対し、自虐的になっているだけかもしれません。

末期ガン患者にお会いしたとき、人生観について問われるとうまく答えることが出来なかったのですが、哲学的思考を使うと答えやすくなったので参考にしてみてください。

この記事では人生観の哲学的思考に考えてみようと思います。




問いの分析

人生観の問いに答えるには、まずその問いの時制をハッキリさせましょう。例えば、「なぜ生きているのか」という問いは現在形ですし、「生きてゆく意味が有るのか」という問いは未来方向ですよね。「自分の人生に意味があったのか」は過去に対する問いかけです。

時間軸が明確になると答え易くなります。

 

また、これら人生観に対する問いかけは、何かしらの価値を見いだそうとしています。答えには何らかの価値を含める必要があります。

「なぜ生きているのか」という問いは、「今、生きて存在することに価値があるのか」という問いかけに変換できます。

 

これらの主語と目的語を明確にすると、問いかけの答えが見つけやすくなります。

「なぜ生きているのか」という問いを、「今、わたしが生きて存在することに、◯◯にとって価値があるのか」と変換できます。◯◯は家族でもいいのです。

◯◯を問いかけられた者が勝手に変更してしまえば、答えやすくなります。

 

病気の本人が求めているのは明確な答えです。家族にとって病気の本人が存在してくれることは価値がありますよね。大切な人が生きてくれている現実は、家族にとって価値があると答えれるのです。

 

答えを本人に聞いてみる

人生観の問いかけをされたら、そのまま本人に返すという手法があります。

「わたしの人生はなんだったのでしょうか」と問われたら、「あなたは自分の人生が価値があったとお考えですか」と問い返すのです。

患者本人が価値があったと思えば、それが回答になります。

哲学的な問いかけは明確な答えが有りません。うまく切り返すだけで答えが見つかる場合があります。

 

人生観に対して、疑問が生じる原因の根底に有るのは将来がない現実です。残されている時間が長い方の人生観、今まで長い間生きてきた方の人生観は当然違います。

 

少し哲学的に問いかけを変換すると答えやすくなりますので、参考にしていただければと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。